study: Erik Höglund
開催中の展覧会 ERIK HÖGLUND Primitive Modernity(2025.11.5-2025.12.8/伊勢丹新宿本店)が素晴らしい。
手がけたのは、北欧ヴィンテージショップ「ELEPHANT」のオーナー吉田安成さん。吉田さんはエリック・ホグラン(1932–1998/スウェーデン)のクリエイティビティに魅せられ、長年その作品を収集し人々に伝えてきたエキスパート。ホグランが生きた時代や作品が生まれた背景について、彼より詳しい人物は日本にいないであろう。彼の視点でキュレーションされた展覧会の意義は大きい。





contain.jpでは、ライター衣奈彩子が吉田さんへのインタビューをもとに執筆した過去記事を転載する(初出 2020, JPRIME)。
北欧でガラスの概念を変えた エリック・ホグランの仕事
ガラスの王国、スウェーデンにて
スウェーデンには、ガラスの王国と呼ばれる地域があります。スモーランド地方に広がるそのエリアには、1900年代にガラス工房が次々と生まれ、第二次世界大戦後には、イタリアと並び世界のガラス工芸をリード。そうした工房のひとつ、ボダ社(現在はコスタボダ社)でデザイナーをつとめたエリック・ホグランは、ある作風でガラスの概念をくつがえし注目されました。エリック・ホグランは、1932年生まれのスウェーデン人アーティスト。ストックホルムのコンストファック(現在の国立芸術工芸デザイン大学)で彫刻を学んだ直後に、ボダ社の門を叩き21歳の若さでデザイナーに抜擢されます。
就任して間もなく1953年に手がけたのが、気泡の入った茶色のガラス。熱したガラスにじゃがいもの皮やおがくずを放り込むと、蒸発してガスが発生し気泡となる性質を利用しました。野性味のある茶色は、旅行で滞在した山間部の村に放置されていたビール瓶から発想したそう。ピープルデカンタ(人型のデカンタ)のように、フォークロリックなあたたかみを持つボトルやボウルは、オーソオドックスな家庭用食器を生産していたボダ社の商品に新しい様式をもたらしました。
東京・神宮前で北欧ヴィンテージ専門店「ELEPHANT」を営み、毎年、ホグランの展覧会を開くほど詳しい吉田安成さんは、「当時、デザインのあるガラスというとシンプルなフォルムのガラス器や、電気工具で表面に絵や模様を彫る技法(エングレーヴィング)の装飾的なものなどでした。そんな中、ホグランが始めた厚手で素朴な日用の気泡入りのガラス器は画期的でしたが、その分、すぐには受け入れられなかったようです」と話す。では何がきっかけで、そのガラスはブレイクしたのか。
1950年代に花開いた新しい日用品
「ブレイクのきっかけといえば、1957年に北欧のデザイナーを対象とする賞として最も権威のあるルニング賞を獲ったことですね。北欧デザインの質の良さを国外に知らしめようと設立されたこの賞の受賞者には、ニューヨークで個展を開く機会が与えられ、一気に知名度があがるのです。ホグランの受賞は、ボダ社の成長に繋がりました」と吉田さん。
ガラス業界に限らず50年代の北欧の工芸は、由緒ある伝統と高度な職人技術を有する工房がデザイナーを採用し、独自の作風を切り開いて飛躍した時代でもありました。その背景には、戦後の高度成長期に男女の平等が進んで家族のあり方が変化し、社会が不安定になったことが関係しているようです。
社会不安を払拭するためスウェーデン政府は、国を父、国民を子に見立てて福祉を充実させる「国民の家」なる政策をスタート。その一貫で都市化による住宅難を解消する大規模な住宅建築計画が進み、狭小スペースの住まいが増えました。限られた住空間で営む簡素で合理的な生活には、装飾があったり、サイズの大きな家具や食器などの日用品は合いません。そこで陶磁器の世界では、多彩な作風で人気を博したデザイナー、スティグ・リンドベリが、オーブンウェアとしても流用できる普段使いの食器のシリーズ「ゲフィール」を1952年に発表するなど、新しい日常のための食器のデザインに対する需要が高まったのです。
一方、ホグランが気泡のあるガラスを世に出した1953年は、隣国フィンランドが誇るプロダクトデザイナー、カイ・フランクが「Smash the Service!(ディナーセットを粉砕せよ)」と唱えた時期とも重なります。彼は、スタッキングや買い足しができる普段使いの食器「キルタ」をアラビア製陶所から(*2)、直線的でモダンなデザインが効いた日用のグラスをヌータヤルヴィ社から発表しました(*3)。「デザインの力で日用品を美しくし、量産により多くの人に届けたい」という北欧のデザイナーたちの想いは、こうして1950年代に結実するのです。
美しいものをより多くの人に
「美しいものをより多くの人に」というこの思想、スウェーデンでは、英国のアーツアンドクラフツ運動に刺激されて19世紀には議論されていました。大衆教育啓蒙家という肩書きで活動したエレン・ケイという人物は、1899年に覚書『万人のための美』の中で「人々の美についての意識を発展させることによって道徳概念が高まり、家庭も家族生活も調和がとれ(中略)国家全体にとってより有利な動きになる」と説いています(*4)。その後、1920年前後には「日用品をより美しく」というスローガンのもと、高品質の工芸を大衆に届けようという動きも生まれます。よいデザインに触れることは、家庭文化を、そして生活を円満にする。そうした考えが根付く国で幼少期を過ごしたデザイナーたちが、理念と才能を開花させたのが50年代だったというわけです。
エリック・ホグランの偉業とは
エリック・ホグランのデザインにあって、カイ・フランクにないもの。それは、素朴さとあたたかみでしょう。吉田さんによると、ホグランは1952年にストックホルムで開かれた展覧会「メキシコの工芸」に足を運んでいるとのこと。「南米の暮らしに根ざした民芸品や人形が持つ、テクスチャーやモチーフに強く影響をうけていたのではないか。土着的なモチーフをガラスを通してモダンに昇華させたデザイナーは、後にも先にもホグランしかいないと思います」と言います。
暮らしを支える素朴で温かい民芸の道具の役割。ホグランは、それをガラスに持たせることで、スタイリッシュで合理的な様式へと加速していく当時の生活の中に「ぬくもりのあるいいデザイン」を届けたかったのかもしれません。1953年から73年まで2500点以上のデザインを手がけています。
「ELEPHANT」を訪れるホグランの愛好家の中には、ボトルにウイスキーなど気に入りの酒をいれて、鑑賞しながら晩酌を楽しむという人もいるそう。貴重なヴィンテージ品だとしても、もともとは日用品として作られたうつわたちだからこそ、ぬくもりを感じながら臆せず使うことで暮らしが変わっていきそうです。
*1 「スウェーデンはなぜ強いのか」PHP新書(2010)
*2 「キルタ」は少し形を変え、現在は「ティーマ」としてイッタラ社が販売
*3 現在は「カルティオ」としてイッタラ社が販売
*4「スティグ・リンドベリ作品集」プチグラパブリッシング(2004)
エリック・ホグラン
1932年スウェーデン生まれ。幼少期に糖尿病を発症したため、絵画など室内でできる芸術的な活動を好むようになる。ストックホルムのコンストファック(国立工芸デザイン大学)で学んだのち、1953年ボダ社(現・コスタボダ社)のデザイナーに抜擢され1973年まで活躍。2500〜2600種類ものガラスの器やオブジェを世に送り出す。その後はアーティストとして活動。1998年没。北欧ヴィンテージ専門店「ELEPHANT」では、ボトル、灰皿、オーナメント、キャンドルスタンドなどエリック・ホグラン作品を多彩にラインナップしている。
協力:ELEPHANT http://www.elephant-life.com/
write & edit; Saiko Ena (初出 「明日を変えるうつわのはなし」2020, JPRIME)